2012年5月 2日 (水)

遅い雪消えと種蒔きを終えて

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 今年は例年にない積雪に見舞われ、田んぼの雪も私の所で4月20日過ぎまで残っていました。春の農作業は現在例年より五日位の遅れで推移していると思います。

 まだ雪の多い中4月7日、午後2時から私のすぐ近くの鎮守のお宮の春の大祭が開催されました。幼稚園に入学の子供から大人の33歳、42歳、62歳、77歳、88歳の厄払いの方々をお招きして、まず最初にお宮の前で宮司さんと共に記念撮影が行なわれます。その後宮司さん(5人)を始め氏子総代(私も含め10人)と共に16帖もある本堂で所狭しとかしこまり厳かに宮司さんのお祓い、太鼓と金飾りを響かせあでやかな巫女さんの舞い、続いて烏帽子に襷掛けの男性の神剣巧みの剣舞、そして年齢別の代表の方々の玉串奉奠、最後に宮司さんからお菓子の小袋を放り与えられてから厄払いの方々はお宮のお礼と記念品をいただきます。大体2時間位要したこの時間に花火が数発打ち上げられ遅い雪消えを吹き飛ばすが如き大きな音を響かせていました。この後は直会会場にマイクロバスで移動し、数人の著名人も一同に盛大な宴会で終了しました。

 さて祭典も終え、4月11日、種籾の塩水選を行ないました。これは良質の種籾を選別するもので、その後10日以上も地下水に浸水します。この間3日毎に新しい水と入れ替えを繰り返してから温水に切り替え籾が鳩胸になるように4月23日~24日と2日間で種蒔き準備に入ります。

 種籾浸水中の4月22日(日)、県内で最も早く開花を告げる象潟の勢至公園に妻と2人で花見に出掛けました。晴天ではなく花曇りというか少しどんよりとした感じでしたが鳥海山は見えました。公園の沼越しに眺められる鳥海山辺りの桜はまだ蕾でしたが、所々に2~3分咲きが垂れた枝に重なり合っていました。岸辺には海鳥が飛び交っていて、ここで妻の写真を何枚か写しました。10時頃になって客も多くなってきました。妻とは何回かここに来ていますが、昨年は私一人だったのでやっぱり2人の方がより楽しく感じます。コーラとお茶を飲んで公園を後にしました。

 本荘まで折り返し、国道108号を南下し山間部の雪の多さに驚きながら道の駅鳥海郷で昼食、私は天ぷらざるうどん、妻はラーメンを注文しました。車窓からまだ田んぼに50センチ位ある雪を眺めながら、農作業はどれ位遅れているだろうか等と話しながら時折り鳥海山上部の真っ白さも望むことが出来ました。

 国道13号に出て湯沢方面に走行、まもなく道の駅小町の郷おがちに着きました。ここでは道の駅祭りも開催されていて大勢の客で賑わっていました。一寸肌寒くひと回り見学した後、次の道の駅十文字に向かい、ここはいつも賑やかです。ここでも少し野菜、ダンゴ等を買い込みお茶を飲んで一路家を目指しました。今日の走行は225,7km、4時前に着きました。

 種蒔きは4月25日、26日の2日間で行ないました。前もって苗箱約1,300箱に床土を入れておいたもので、種蒔き機械に苗箱一枚一枚を送り込みます。その流れの中、始め水が散水され、次にきれいに種籾が蒔かれ、その上に覆土が掛けられます。これを軽トラックに積み込んで少し離れたビニールハウス内に並べ、その上に薄いシルバーポリで覆います。これで種蒔きは終わりです。作業人数は土入れの時、私と妻、手伝い二人の計4人で一日、種蒔きの時は私と妻、手伝い二人で計4人で2日間の作業でした。ハウスに入れられた苗箱は五日も待たずに芽が出てきます。まもなくシルバーポリを外してからの温度、給水管理、外気の温度関係など目が離せない細やかな作業になりますが、これはもっぱら妻の作業になります。

 5月に入ってから3日4日5日と各水路の清掃作業が続きます。どの作業も大体正午前で終わりますが、数十人での作業で年一回の顔ぶれも多く楽しい作業風景を醸しています。

 昨年の大震災から一年も過ぎても私の胸の内は晴れていません。復興の遅れ云々の言えるものでもありませんが、我が大仙市が今月から県内先駆けて岩手県宮古市のガレキ処理を担う事となった事に少し胸のつかえが薄れていく気がしております。安全性の担保は勿論ですが大仙市に続いて処理を担う市町村が現れる事を期待し祈っています。

    種籾に   願いを込めて  山仰ぐ

    苗箱を   並べて眺め   汗ぬぐう

    山の雪   多く残れば   水多く

    石垣の   桜の枝に   風そよぐ     武男

2012年4月 3日 (火)

南アルプス登山紀行(平成11年8月13日~18日)後編

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8月16日続き

 今日の千枚小屋からは晴天に恵まれ、登山道も所々の危険箇所の鎖場、ロープ、鉄梯子等、またガラ場もあり、急登、急下降もあってもまずは順調に登山する事が出来たと思う。

 それと、南アルプスならではの高山植物が随所に現れ、その豊富さにも驚いてしまう。ただこの縦走路は行き交う登山者が少なくさびしい限りで、途中の東岳(悪沢岳)で夫婦とおぼしき登山者と一緒になり僕に写真を撮ってくれたのが今日の貴重な出逢いである。

 3時頃になって山の家も登山者の足音が多くなり少し混んできたようだ。

8月17日

 朝食を終え山の家発5時3分、外は一面濃いガスで覆われている。さあ~これから、と気合を入れて中盛丸山(2,807m)、小兎岳(2,736m)、兎岳(2,799m)を経て聖岳を目指す。

 兎岳に着いたあたりから雨混じりのガスになり強い風も出てきた。前聖岳頂上(3,013m)着8時10分、ここから往復で40分位の奥聖岳(2,978m)にも足をのばす。雨具を叩く風雨に逆らいながら小聖岳(2,662m)から薊畑分岐を過ぎて聖平小屋に到着10時15分。

 今朝百間洞山の家を出る時、今日の宿はここと決めていたのが、予定より2時間以上も早まったため、泊まらずに下山することにする。今日の登山はガスで雨も降り自然と足が早まったと思う。兎岳から前聖岳まではかなりの難所で奥聖岳もよく往復できたと思う。

 聖平小屋でジュースとラーメンを食したと思うがメモにはない。小屋手前にテントが3張位あり、小屋周辺一帯は樹林の枯れ木が多く、枯れた倒木等もそれも広範囲にあり異様な光景である。

 聖平小屋を後にしてなだらかな下り、急な下りを繰り返し椹島ロッジまで下山路約5時間、椹島道路(聖岳登山口)着2時5分、椹島ロッジ着3時一寸前。受付を済まし3人部屋に入る。缶ビール(350ml)を飲んで入浴もしてさっぱりする。

 今回最も嬉しかったのが雷鳥と出逢ったこと、荒川避難小屋付近と小聖岳付近の2箇所で長時間観察できたこととブロッケンと対面したこと、これも3回も出逢った。雷鳥もブロッケンも晴天であれば対面する事はほとんどなく、悪天候が幸いしてこんな事もあるのだ。

 今回の一日の歩行距離が長かったせいか、足の親指の爪が両方ともだめのようで爪がはがれて、次の新しい爪が生え揃うまで3ヶ月位掛かると思う。

 明日は7時30分発のリムジンバスで畑灘第一ダムまで戻り、そこの売店のおばさんに無事に帰ってきたことを告げて何か食して静岡まで又バスを利用、静岡から新幹線で東京に、東京から「こまち」で秋田に帰る予定、まずは今晩ゆっくり休むことにする。

 8月18日

 畑灘第一ダムから静岡駅までバスの長い待ち時間、大体2時間位あったと思うが、ここの売店のおばさんから伺ったお話を一寸。

 おばさんはずっと昔若い頃から、ふもとの山案内人と共に賄い婦として南アルプス山岳登山に同行していたそうです。その頃は1~2ヶ月前からふもとの案内人に登山者は申し込んでおいて、その日に人数5~6人とおばさんも同行して山に入っていた。

 登山者は裕福な人で途中で疲れると前後で担ぐ粗末なカゴに乗せ運んだ事もあるという。ここから椹島までも数日掛かったと思うし、ふもとからだと往復十日以上は充分要したと思う。

 その分の食料、他の運搬も大変だったと思うが、おばさんも荒川三山までは登ったとは言わなかったが一夏に2~3回登山があったそうで、話を聞いているうちバスの発車時刻が間近になり登山者も多くなり、バスの乗車券の販売、食堂も兼用していてその注文などにおばさんはてんてこ舞い、僕も一肌脱ぐことにし、うどんの注文、ソバの注文、お金の受け取り等をするうちに東京方面に帰る3人の登山者とも仲良くなったりして、東京駅で名残惜しく別れた人もいた。

 おばさんは若い頃から今も南アルプス山岳登山に関わっていて、「これからも元気でお過ごし下さい」と手を合わせる気持ちになってバスに乗り込んだ。

    雷鳥と   目と目があって   霧が降る

                    武男

2012年3月27日 (火)

南アルプス登山紀行(平成11年8月13日~18日)中編

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8月15日

 5時前起床、着替えを済まし5時30分朝食美味しかったとメモ、番号順にテーブルの席が決まるので夕食も朝食もおんなじ顔ぶれのテーブルになる。

 天気は朝もやの感じで雨は止んでいるが雨具を着用し、6時丁度出発、ゆっくり歩き出す。ロッジからゾロゾロ登山者が出てくるふうでもなく、僕の先に2人が歩いているだけ。

 ロッジから5分ほどで滝見橋を渡り左手へ入って桟道を通り落石に注意しながら、奥西河内の吊り橋を渡る。落葉広葉樹を過ぎ、ガレ場も過ぎて緩やかさから急登に変わる。ハシゴを登り針葉樹と落葉広葉樹の混合林から水場の清水平に出る。

 ここから又も緩やかな登りが続き、平坦地から蕨段に出てまもなく見晴岩の展望地、今は霧雨のような細かい雨が降っているため展望が全くダメ。荒川三山と赤石岳の勇姿はまだおあずけ、この先の駒鳥池までもなだらかな登りが続き、周囲のシラビソの樹林はいっそう密になってくる。

 駒鳥池を過ぎて鞍部に出る。今まで北に向っていた登山道はここから西へと変わり尾根の急登に吹き出す汗をぬぐいながら今宵の宿、千枚小屋到着10時10分。

 この千枚小屋横から手前の斜面一帯はお花畑シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ等他にも所狭しと咲き乱れている。周囲は霧雨にガスが垂れ込め、濡れた草花の出迎えが遠望もきかない登り連続の今日の疲れも簡単に吹き飛んでしまう。

 千枚小屋は真新しく受け付けを済ませて一眠りする。その後雨音の強さで目を覚まし、缶ビール(350ml)2本とラーメンを注文し昼食を終える。又一眠りと決め込んだのも束の間、部屋も混んできた。今1時30分、小雨になったようだ。僕の隣りの人とも色々な話をする。5時からの夕食で、この時はビールは飲まなかったのかメモになし。

 8月16日

 千枚小屋5時20分発、雨もなく晴れたようだ。僕の隣りにいた登山者は2人とも午前3時過ぎに出発している。僕は一人でお花畑を斜めに横切りながら登り出す。

 やがてダケカンバの平坦地を通り抜けマンノー沢ノ頭から二軒小屋に下る分岐点を見送り森林限界を越え、ざらついた急登をつめて千枚岳頂上(2,880m)に出る。

 ここには先着の登山者が10数人いて、大展望をほしいままにしている。この登山者は小屋で朝食前に出発した人たちである。

 今日は前日と打って変わってのこの天気、僕も気分が乗ってきた。ここから富士山はもちろん、北を見れば鳳凰三山、北岳、間ノ岳、農鳥岳、南には僕がこれから登る赤石岳、聖岳の山並みを眺望して特に荒川三山の巨大な姿には感動してしまう。それと頂上からの裾野の広がる雄大さを堪能して心も体も軽々と浮き上がる感じになった。

 荒川東岳(3,141m)(悪沢岳)、中岳(3,083m)を過ぎ荒川小屋着8時10分、ラーメンを食べて一寸の休憩後、前岳(3,068m)への分岐点を見逃してしまう。ザックを置いて往復しても数10分の所だったのにと残念に思った。

 前岳の分岐を過ぎてお花畑の広がる急な斜面を下り小さな沢を越え大聖寺平(2,699m)までのトラバースは楽なものでダマシ平から小赤石岳(3,081m)から大倉尾根の分岐を過ぎ赤石岳(3,120m)に到着10時5分、千枚小屋から休憩も入れて5時間弱、順調に登山していると思う。

 雄大な赤石岳からはゆるやかな下り気味の馬の背から百間平を過ぎ百間洞山の家到着11時45分。さっきの百間平あたりから小雨になってきて今は少し強くなってきた。

 受付を済ませ部屋でごろ寝を決め込む。その前に缶ビール(350ml)1本飲む。700円。ここも真新しい山の家で、30代の夫婦2人で切り盛りしているようだ。

    山小屋に   仲間の声の   なつかしさ

                              武男

    後編へ続く

2012年3月22日 (木)

南アルプス登山紀行(平成11年8月13日~18日) 前編

Senmais

  静岡 - 椹島ロッジ(宿泊) - 千枚小屋(宿泊) - 千枚岳 - 荒川岳(荒川三山) - 赤石岳 - 百間洞山の家(宿泊) - 聖岳 - 聖平小屋 
- 椹島ロッジ(宿泊) - 静岡

 8月13日

 夜行バス大曲発夜九時、横浜着朝6時55分。

 8月14日

 横浜に着いた時から雨になる。横浜から市営地下鉄線にて新横浜着、新幹線こだま7時40分発、静岡着8時20分、駅で朝定食を済ます。

 雨が激しくなってきた。ここから畑薙第一ダム行きのバスに乗り込む。9時53分発のこのバスは南アルプス登山者専用の感じで、この時も20人位乗り込む。バスは安部川沿いに北上し井川ダムを過ぎて大井川鉄道井川駅に到着する。

 ここで別のバスに乗り換えたような気がする。停車後まもなく発車、八木尾又トンネルを抜けてバスは急な山の斜面を蛇行しながら湖面を左手に見て畑薙第一ダムを渡り、売店の前で降りる。午後2時20分。

 ここから今宵の宿、椹島ロッジまでは東海フォレストのリムジンバスに乗り込む。このリムジンバスの利用者は椹島ロッジ、千枚小屋、赤石小屋、百間洞山の家、荒川小屋、熊の平小屋を1泊2食付で1泊以上利用する人が条件である。

 乗車してまもなく、登山届用紙を渡され、それの説明、注意事項等を車内の係員の話を聞きながらさすが南アルプス南部の最深の山並みに抱かれる期待が徐々に高まってくる。リムジンバスは静岡から乗り込んだ登山者がそのままの様相である。

 畑薙第一ダムから沼平のゲートまでは舗装されていて、それからは砂利道になる。まもなく左手に畑薙湖を眺めながら茶臼岳に至る畑薙大吊り橋を望みつつ畑薙大橋を渡り、大井川上流左岸を蛇行を繰り返しながら赤石トンネルを過ぎ、エメラルドグリーンの広がる赤石ダム湖を右に眺めながら聖岳登山口を過ぎる。

 間もなく待ち焦がれの椹島ロッジに到着4時一寸前。静岡からここまで途中バスの乗り継ぎがあっても約6時間の所要、南アルプスの奥深さをあらためて感じてしまう。

 椹島ロッジはカラ松の林に囲まれた広い敷地にあり、バスを降りてすぐの売店兼用の受付で受付を済ませる。部屋はロッジB-3、先客が3人いて部屋は畳の6畳位だ。今天気は小雨になっているが、明日が心配だ。

 先客の一人に一寸話し掛けてみたがどうも反応がいまひとつ。もう一人もどうもはっきりしない。それはその後の雰囲気で分かってしまう。天気が悪いため、明日引き返そうかどうか迷っているのだ。

 その後一人が同室になり計4人になったが弾む話合いにもならず沈んだ空気が5時30分からの夕食のアナウンスで食堂に他の部屋からもゾロゾロと集まってくる。牛丼風の食事で美味しかったとメモっているが、缶ビールか酒を飲んだとはメモになく、今思うと入浴しなかったことからして気分でも悪かったのかなぁ~と思ってしまった。

(続く)

2012年3月 2日 (金)

飯豊、磐梯安達太良山 登山記 後編(昭和54年8月16日~17日)

540816s_2 野口記念館より磐梯山

8月16日

 駅前旅館の朝食を終え6時30分出発。有料道路、磐梯ゴールドラインの途中、登山口分岐、7時20分。

 ここから登山道樹林帯を静かに登り出すと思いきや家族連れが、特に子供達が多く子供達との「コンニチハ」のあいさつがひっきりなし、一寸うんざり気味に1時間余りの登りを終え、弘法清水小屋に到着8時30分。

 ここで一息入れ最後の登りをつめて頂上(1,819m)へ到着9時。頂上の大展望台から左に桧原湖、小野川湖、秋元湖は代表する大きな湖だ。その外に樹林に隠れるように湖、沼が点在、これらを眺望してもう感激。

 さっきまでのうんざり気味が吹っ飛んでしまった。又、遠くに転じれば吾妻安達太良、飯豊連峰、日光連山まで一望のものとガイドブックにはあるが、その時はかすんで見えなかったような気がする。

 頂上から引き返し弘法清水小屋の売店でバッジとペンダントを買う。頂上の方にガスが出てきた。9時40分下山する。又子供とのあいさつに飽きた頃、中湯から幅のある歩道を進み、駐車場に到着、11時少し前。

 有料道路を猪苗代に出て一寸車から降り磐梯山を仰ぐと、天気も晴れてきれいな姿を現していた。そこから本宮に出て国道4号を北上し二本松から岳温泉に向う、3時5分。

 これからの登山には時間にゆとりがなく岳温泉西山荘三戸屋に投宿する。今は天気が良いが明日はどうか心配である。今宵はゆっくり温泉につかり英気を養う事にする。

 8月17日

 旅館出発7時45分、奥岳温泉着8時10分、駐車場を出発8時20分、もう一面ガス、雨も落ちてきた。雨具を着て五葉松コースを登り出す。

 あの智恵子抄で有名なこの安達太良山、あいにくの雨模様でも感慨深く、なんかそんな気持ちでまずは薬師岳を目指す。ここは標高1,100m、次第に石のゴロゴロした道になる。

 ゆるい登りを続けやがて五葉松平に出る。荒々しい自然に逆らうことなく慎ましく育ったヒメコマツの美しい庭園を作っている。道は急坂になりケルンが積まれた賽の河原を思わせる薬師岳である、8時40分。

 ここからしばらくは見通しがきかない、オオシラビソに混じってナナカマド、ハクサンシャクナゲの咲く道で一面のシャクナゲの多さに驚きながら登りを続ける。

 ぐんぐん高度を上げ、目の前が急に開け稜線に出る。今までの息苦しさから開放され吹き上げる涼風に身をおいて、周囲を見渡してもガスに雨降りでさっぱり眺望はきかず、休む間もなく鉄鎖のついた岩をよじ登って安達太良山(1,700m)頂上に着く、9時30分。

 頂上は大きな岩がありゴツゴツしている。ここから天気が良ければ鉄山まで足を伸ばしたい、そんな思いもしていたがなにしろガスと雨のためここから引き返すことにする。

 鉄山までは往復2時間ぐらいなので一寸無理をすれば、と頭をよぎったが、完全に思いを吹っ切って下山することにする。このコース最大の慰めはハクサンシャクナゲの大群落と対面出来たことの強い印象、これは心に残った。

 途中追いついたのは家族3人パーティと数人だけだった。私が下山の時、その人たちはもう引き返したのか会う事はなく、もうずぶ濡れで駐車場に着く、11時20分。

 どこかのレストランで美味しいもの食べようかとハンドルを回し二本松方面に向かう。この日、家に午後7時30分到着、走行メーターは792kmだった。

   安達太良の   シャクナゲ揺れて   露落ちる

   磐梯を    いつも見上げる    猪苗代

   猪苗代    野口の里に   磐梯も

                     武男

飯豊、磐梯安達太良山 登山記 前編(昭和54年8月14日~15日)

540814s 飯豊山 横森小屋スケッチ

昭和54年8月14日

 朝6時出発、米沢から国道121号を喜多方市に向う。山都を目指して川入キャンプ場飯豊鉱泉駐車場に到着、2時30分、この国道121号はほとんど砂利道で、もうもうと砂埃が舞い上がり、ほとほと閉口してしまう。川入り駐車場に2泊分1,000円を支払い2時45分登り出す。天気は晴れで駐車場も大体満車の状態でキャンプ場の賑わいも想像する事ができた。

まずは今日の宿、横峰小屋までの予定で、ブナの中に続くこの道は御沢小屋を過ぎるあたりから長年月の雨水にえぐられて溝のようになって、行き交うのにも難儀な大変な状態だった。登山道がこのようになるには何十年、いや100年以上にもなるのか、そんなことを考えながら、それに長い登りの厳しい所で視界もきかず、湿原もありで4時30分横峰小屋(1,300m)に到着、この小屋はお世辞にも立派とは言えない粗雑なものである。それでもここは信仰登山のメインルートでこの横峰小屋、御沢小屋、地蔵小屋は7月15日から8月25日までの開設で全くの仮小屋である。小屋のちょっと離れた所にテントが3張りあって7人位いるようだ。

 小屋の主人は私より3歳年下で子供が2人いると言って、私は3人いることなど少しずつ打ち解けるようになった。主人は1時間程前に親父が下山して行ったはずだが会わなかったと言うので、そういえば途中で一人の年配の人と行き会い声を掛け合ったと言うと、あれが俺の親父なんだと言っていた。私はその時既に父は亡くなっており、そんな話もしたように思う。缶ビール(350ml)2本を注文して食事をする。どんなおかずだったか忘れてしまったが。小屋は粗末でも主人との会話が弾んで共に東北人ということもあって和やかに過ごす事が出来た。

 夜何時頃だったろうか、主人が「起きて下さい」と言うので何が起きたのかと目をこすりながら起き上がると、外に出て夜景を見るようにすすめられ、よく見るとまことにきれいな夜景を見ることができた。会津若松市内の夜景だったのだ。山間の案外広い範囲にまばたく素晴らしい夜景だった。空もまた満天の星空でここに泊まってもう何にも言うことはなかった。

 8月15日

気分良く朝食を終え、その時主人は頂上までは4時間ぐらいだろうと言うので5時30分出発、地蔵山を過ぎて剣が峰から鎖場もあり急登が続き三国岳(1,631m)に着く。ここは山形新潟福島3県境に交わる頂上で、ここから飯豊本山、大日岳の雄姿を眺めることが出来た。

 私はこの時は喫煙をしており急登の際、息切れというか何かそんな意識をするようになっていた。ついでに話をすると、喫煙はその2年後の40歳の誕生日に辞めた。その後一切吸っていない。

 三国岳から七森種蒔山(1,791m)への登り、岩肌のゴツゴツした登り、切合小屋から草履坂のピークご秘所、ご前坂の急登鉄鎖が固定されている岩場を通り途中右側大又沢の断崖に気を配りながら本山を目指して一気に登る。

 飯豊山神社でお祓いを受けて飯豊本山(2,105m)に到着、9時30分。突如ガスが湧き上がり早々に下山する事にする。またたく間にガスが広がりさっぱり視界がきかなくなった。

 本山から尾根を一気に下り、途中の鉄鎖も通過し伝説のまつわる乳母の石像のある姥石から一気に100mの急坂を登り切って草履塚から切合小屋に着く。種蒔山から南下して三国岳頂上、もうここからは本山等を望むべきもなくひたすら下るだけ、でもこんな時、眺望がきかない分、足元の低潅木、高山植物に目を注ぐことが出来、また楽しいものだ。一寸秋めいた気配でリンドウのツボミ等、外にもたくさんの植物があったと思う。

 地蔵小屋を過ぎ横峰小屋に到着12時20分、昼食にする。この辺りまで下山するとガスも晴れていて主人に缶ビールを注文すると「いやー売り切れなんですよ」と言って一寸申し訳なさそうにしていた。

 そうそう、忘れていたが夕べの照明はランプだった。あの下の方に灯油の入ったもので懐中電灯は柱に掛かっていたが、ランプの灯りとこの小屋の雰囲気、外では味わえない光景だった。又囲炉裏もあって鍋が吊り下げられ、もう最高の風情だったように思う。小屋の主人と別れを交わし1時30分、小屋を後にする。

 木の根坂の深い溝の中、登山道、ここもひたすら下る。もう天気もすっかり晴れて駐車場に到着、2時40分。3時出発、磐梯駅前旅館に到着、5時30分。磐梯山が晴れてきれいに見える。旅館の夕食の料理は盛大なものでその分部屋の方は格落ちだった。

   飯豊山   君にも近く   山だより

   安達太良と  云えば智恵子の  物語

   磐梯の   旅籠の窓に   夕日かな

                      武男

2012年2月23日 (木)

雪国の暮らし  その2

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 暦の上では春とはいえまだまだ寒い毎日が続いています。今年は例年にない程の大雪に見舞われ、屋根の雪下ろし、下ろした雪の処理等、少々うんざりしているところです。朝、近所の人との挨拶も「まんず毎日よく降るんしなぁ・・・」と合言葉になっています。

 家の近くの市道幅6m位ありますが、朝7時頃には除雪車が通り通勤車両も順調に流れています。時には強い吹雪の時等視界の悪い時はライトを点灯し低速でノロノロ進行しています。

 僕の家は集落の外れで次の集落まで南方に800m位ありますが、この区間は両側田んぼで人家もなく、全くの吹きさらし、両側は除雪の雪でうず高く1.5m位の壁になっています。

 吹雪の時は道路上に吹き溜まりが出来ますが、今は早速に除雪車が駆けつけてくれますのでほとんど通行不能になることはなくなりました。今の除雪車は前の方が螺旋の回転でその削り取った雪を遠くに放出させるものと、従来からのラッセル状の除雪車が交互に活動しています。

 ここでちょっとこの道で良く遊んだ僕が小学生の頃をお話したいと思います。その頃は大きな荷物を運ぶ馬橇(ばそり)が幅を利かせていました。大曲から角館町に色々な荷物を積んで何橇も連なって毎日のように通って行く様は子供心にも頼もしい事のような感じがしていました。

 馬主は荷台の前の小さなコタツに背を丸めるようにして手綱を操り、馬は慣れたいつものようにゆったりした歩調で進んで行き、馬橇が通る時は僕達は脇の雪を踏み固めて通り過ぎるのを見送っていました。

 馬橇も朝角館方面に行って、荷物を降ろして帰ってくる時分、僕達はそれを待っていて馬橇の後に馬主に分からないように2~3人腰を掛けて両足をぶらぶらさせながら大分遠くまで乗って行った事もあります。でも時には乗ったとたんに怒られる事もありちょっとスリルを感じることもありました。

 この頃の僕の集落には高齢の方もいましたが、それにもまして子供達が大勢いました。

 この道はその頃、大曲、角館間の県道としてのちにはバスも通行し、一時賑わいもありましたが、現在はこの道路に代わり大曲市街西側に本荘-大曲-角館-鷹ノ巣と結ぶ国道105号が整備され、それと交差して国道13号バイパス(秋田-大曲-横手-山形)が大曲市街地の東側に伸びて秋田自動車道のインターも近くにあり、大曲市街、郊外もここ数10年で機能的に大きく様変わりしています。

 今2月も中旬を過ぎ方々の雪祭りも終わりを告げて、まもなく3月です。雪の方も少しは落ち着いて気温も少しは変化の兆しも見えてくると思いますが、それでもお体には充分お気を付けてお過ごし下さる様お祈り致します。

      軒氷柱   暦の春は   まだ遠く

      屋根の雪    又も下ろして   仰ぎ見る

      起きがけに   玄関前の   雪を見る

                               武男

2012年2月 6日 (月)

北アルプス 白馬、唐松縦走記 後編(昭和43年8月10日~11日)

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昭和43年8月10日

 月光美が残る早朝3時45分、白馬岳(2,939m)登頂、最高の晴れ、今は私一人だけ、頂上までの途中で雷鳥の親子に対面する。山歩きを始めて雷鳥と出逢うのは初めてで、ましてや子連れの雷鳥、感動してしまう。頂上までは30分程でその頃になってゾロゾロと登山者が頂上に集まってきた。ご来光を拝む。昨日の雨は何処へ行ったのか、写真も何枚も撮り、最高の気分で山荘に戻る。食事後6時30分山荘を後にする。

 丸山を過ぎ杓子岳に向う。今日は快晴、悠々漫歩の気分でコース脇には色々な花も咲いていたと思うが、メモには何も記入なしで、今思うと寂しい気がする。それでもお花の大群落に出逢った時には心を動かされたことと思う。最低の鞍部から杓子岳(2,812m)をトラバースして杓子沢のコルから鑓ヶ岳(2,903m)へ登りつめて山頂から岩屑のザクザク道を下って鑓湯温泉分岐(2,774m)7時50分に到着、平らな稜線を右手の雪渓を下って天狗山荘に到着8時20分。天気景色も申し分なく、何よりも立山連峰剱の遠望が特にすばらしく暫し見とれてしまう。

初めての後(うしろ)立山連峰の縦走と立山剱の遠望は今でも忘れる事の出来ない思い出となっている。ここからメモに富士山が見えたとあるが今は思い出せない。又天狗岳山荘周辺は高山植物の咲き乱れる別天地とガイドブックにはあるが、メモにはなく小屋から少し登り広い尾根道を天狗平、天狗の頭と天狗尾根を進み天狗の大下りだ。

 9時40分到着、上部から眺めても見るからに大きな下りでガレ場での危険な場所、長い鎖が伸びていたのが記憶に残っている。ペンキに従い不帰キレット(2,411m)まで下りきる。これからは縦走中最も難関なコースだ。不帰キレットから唐松岳までガイドブックでは所要時間3時間となっているが、一峰二峰三峰の急峻さに身の引き締まる思いで取付く。

 一峰を稜線沿いに登ればコースの核心部である二峰が目前に垂直にそそり立つ。鉄鎖や鉄梯子が随所に固定されている。信州側に回りこんでバンド状のトラバースになるが、草付きの踏抜き、特に対向者とのすれ違いは不可能なので足場手掛かりに気を緩めず慎重に行動する。道は右に回り込んで岩場を登り、鉄梯子を登れば二峰(2,614m)の山頂だ。ここより南峰を通り三峰を踏みしめ三峰からまもなく唐松岳(2,695m)山頂である。

 到着午後2時00分、メモには昼食はまだとあるが、天狗の大下りから唐松まで4時間30分の難コース、食する余裕はなかったと思う。快晴でも辺りに時々ガスが湧き上がる。立山連峰はまだ良く見える。頂上には登山者も10数人もいたので、安心感もあって気分よくベンチに仰向けに一寸休むことにする。

 どの位経ったのか周囲の異常をなんとなく感じて目を覚ます。辺りに誰もいなく、風が強くなりガスが渦巻いてちょっと驚いて、大急ぎで唐松岳頂上山荘に下山する。泊まりの受付、3階14号3人区画に案内される。

  1泊三食付             1,230円
  缶ビール(350ml)  2本(@100円) 200円 
  みかん缶詰      1個      100円
  缶ジュース      1本       80円
  
 持参していた白米一升の内、5合を小屋に引き取ってもらう。小屋に入って風は強くなったようだ。誰かが「台風が近づいているそうだ」と言っている。

  8月11日

 唐松岳頂上山荘4時30分起床、朝食を終え下山を開始する。ご来光は拝むことが出来なかったが、明るい朝日を正面に受けて下山したように思う。雲が多いが立山剱はまだ見える。山荘からゆるやかな下りで丸山ケルン辺りから左山並みの不帰剣や白馬三山が雲間に見え隠れしている。池塘やケルンを過ぎ、八方池山荘からリフト、ケーブルを乗り継いで細野着、7時00分。

  リフト    一人      100円
  ケーブル   一人      170円
  荷物代    一ヶ       50円
  バス     一人       30円
  
 信濃四ツ谷着   7時20分
 
  汽車賃    一人      2,200円(大曲まで)
  おみやげ   一個       200円
  おみやげ   一個       250円

 信濃四ツ谷では晴れているが山並みはガスに覆われて見えなかった。信濃四ツ谷9時14分糸魚川まで四ツ谷駅から松本行き、登山客は大勢いるのに糸魚川行きはほんの少ししかいなかった。四ツ谷駅は海抜680mの位置にあって、シーズン夏だけでも大勢の登山客が押し掛ける光景を垣間見て、田舎者にはびっくりしてしまった。

 下界の暑さもさることながら顔の日焼けで痛さも気に掛かる。数日後、皮がむけて男前が台無しになるのは覚悟している。

  糸魚川発 11時21分 急行青森行  1番ホーム
  秋田駅着 午後7時20分  大曲行7時35分

  缶ジュース  2本(@50円)   100円
  おみやげ   2個(@300円)   600円
  すき焼き飯  1個         200円
  お茶     1個         20円

 今回は白馬大雪渓の登山者の混雑、又頂上白馬山荘の収容人数1,200人はほぼ満員、すぐ近くの村営頂上宿舎の収容人数1,000人もほぼ満員とのこと。花の後立山白馬三山の人気、昭和43年8月でもこのような状態で、今も大盛況が続いているだろうか気になる所だ。

 白馬から唐松までの縦走者の混雑はなく、何よりも晴天に恵まれ存分に楽しませてもらった。当時の信濃四ツ谷駅はその後白馬駅に名称変更になっている。

    雪踏めば   白馬尻の   水の音

    朝露の    雷鳥親子    白馬で

    天狗坂    大きく下って   振り返る

                               武男

2012年2月 2日 (木)

雪国の暮らし

2402011s 2402012s

 いつもお米をお買い上げいただきありがとうございます。

 毎日の寒さ厳しき折り、早くも2月になりました。田んぼは厚い雪の下で眠っていて、見える所一面の銀世界です。今は連日のように雪降り続きで、まず朝除雪車の通った後の、家、小屋の出入り口部分の雪よせが朝食前の日課になっています。時には午後も雪よせすることもあります。屋根の雪下ろしは1月中に1階の屋根は3回、2階の屋根は2回下ろしました。新年早々の1回目の時は、帰省中の息子にも手伝ってもらいました。

 昨年もそうでしたが、雪下ろし作業中の死傷事故が多発しており、市の広報等でも繰り返し注意を呼びかけられています。私も今年から雪下ろしの安全のために万全を期することにしました。

 まず、一階の屋根から高さ1.5m位の所に屋根の右、左側と梯子用の3箇所に丈夫な金具を取り付けて、梯子を2階の屋根に立て掛けた時、根元が滑らないようにロープできっちり固定し、横振れもロープで完全に固定します。2階の屋根に上がった私は、腰の安全帯のD環金具にロープを結わえて、大体屋根上の作業範囲を決定してロープを妻に1階屋根上の金具に結んでもらい作業を始めます。それと落下転倒の際用にミドリ安全製のヘルメットを着用しています。体に結わえるロープは私の場合、9m/mの登山用のザイルです。山では持参していても使用したことはありませんが、使い安さは抜群です。

 雪下ろしの道具としてスノーダンプを使用します。両手で持った先に雪が乗るようになったもので力強く押し込んで手前に引いて屋根から落下させます。その時に誤ってスノーダンプと一緒に自分も落下しないようにザイルがその防止をします。屋根は普通の右、左と傾斜になっていて、右側の雪下ろしの時はザイルは左側に固定されています。妻は私の作業中、1階の屋根にいて、私の作業を見守りながら2階から落下した雪を少しずつ軒先から落下させています。この落下させた家の周りの雪も1階の軒先に近づく位になりそれもさらに外側にスコップではね退けなければならなくなります。

 今は南側に少しある庭木は雪に埋まったようになっています。車庫、作業場二棟の外、畑の方にも小さな物置小屋2ケ所あります。これらは時折りの暖かい陽射しに屋根の雪が自然落下した雪も軒先から取り除かなければなりません。

 私は朝食後7時30分過ぎから5kgのブロックを背負ってのウォーキングが日課になっていますが、屋根の雪下ろしや屋根下の雪よせ等長時間作業に及ぶ時はウォーキングを休むことにしています。

 今2月に入ったばかりですが、まだまだ降ると思います。これを書いている今、外は風が強く、吹雪になったのかそんな音が聞こえてきました。

 春分も過ぎ、中旬間近になると雪祭りが方々で始まります。その頃には雪も少しは落ち着くと思いますが、皆さんまだまだ寒い日が続きます。どうかお体を大切にお過ごし下さる様お祈り致します。

  雪晴れの   屋根を見上げて   目で計る

  冬の暮れ   鴨が飛び立ち   波の音

  ボタ雪が   川面に向って   落ちてゆく

               武男

2012年1月31日 (火)

北アルプス 白馬、唐松縦走記 前編(昭和43年8月8日~9日)

4308081s 4308082s

昭和43年8月8日 

 キスリングザックの大型に必要装備品の他、米も一升詰め込んで、期待に胸を脹らませ、妻に見送られて大曲駅から朝6時55分発秋田駅、糸魚川までまず一日目、大きく膨らんだザックを大阪行きの急行だったと思うが担ぎ乗り込んだ。
 
 汽車賃 大曲~信濃四ツ谷まで2200円 
 新聞       1部     10円
 週刊誌      1冊     60円
 弁当       1個    200円(12時15分鶴岡で)

 糸魚川着、午後5時55分
 駅から15分位の旅館しなやに投宿する。

 板チョコ      3枚 (@40円)   120円
 キャラメル     3個 (@20円)    60円
 ネガカラーフィルム 3本(@420円) 1,260円
 白黒フィルム    4本(@190円)   760円
 缶切り       1丁           55円
 缶詰        4個(@50円)    200円

 夕食は 7時15分
 
 旅館代は1泊2食 1,000円
 おにぎり2個頼む。

 8月9日

 バス 四ツ谷発   6時45分
 猿倉荘     着 7時15分
 登山道 猿倉荘 発 7時30分

 白馬尻荘    着 8時30分
 白馬尻荘    発 9時00分

 私が乗り込んだ糸魚川始発一番の汽車が静かにホームを離れる時、ホームに寝ていた学生風の5,6人の登山者が慌てて起き上がり、大声で叫ぶやら両手を振るやらで大騒ぎ、信じられないことが起きた。多分夜遅く駅に到着し、始発に乗るためホームに全員ごろ寝を決め込んだものと思うが、後の祭りで、私も変な光景を見てしまった。

 猿倉山荘から林道を進み、長走沢の木橋を渡り、しばらくして白馬尻荘から少し登ると大雪渓取付点になる。紅ガラの赤い筋が引かれていて、それを目印に登り出す。時々ガスも出て、それよりも登山者の多さに驚いてしまう。四ツ谷からバス客2台か3台分と猿倉荘、白馬尻荘の宿泊客が一同に躍り出た感じで、長い列が続いているのを眺めて、これでは自分のペースを守りきれず、嫌な感じがする。幸い今日は雪質も軟らかくて軽アイゼンも装着せずすいすいと高度を稼ぎたいとの思いは、またたく間に前の人のお尻にくっつきそうになる。一寸立ち止まって又進む。あきらめの気持ちで歩みを合わせている。

 ここの登りは左側杓子尾根からの落石の多い所で、今も遠くからガラガラと落下する音が響いている。朝方の気温の変化等も作用しているという人もいて上部に気を配りながら一歩一歩前の人に合わせて登って行く。強力(ごうりき)の人も登っていて荷物を背よりずんと高く背負ってすたすたと列の横をすり抜けて行った。また所々にに岩肌、岩が積み重なったような場所には、何人もの人が休んでいた。大雪渓は3kmもあり、傾斜もありきつい登りだ。時折り湧き上がるガスは濃くなく、周囲前方も見渡すことが出来た。

 山並みの頂上の方は、薄黒いガスに覆われて望む事は出来なかったが、葱平付近だったと思うが崩れやすい傾斜面の登りに差し掛かったとき、「お花畑に入らないで下さい」と突然男の声がした。よく見ると黄色系のニッコウキスゲ、シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ等だったと思うが、その周囲にロープを張り巡らし監視していたのだ。こんな大勢の登山者がお花畑に踏み込んだら、あっという間に大変な事になるのは明らかだが、監視人までいたとは、ここでも驚いてしまった。

 小雪渓をトラバースしてお花畑避難小屋を過ぎ、村営頂上宿舎を過ぎ、稜線上の白馬山荘到着午後3時丁度。山荘に入ってから雨が強くなりガスも濃く周囲も見渡せなくなる。写真も全然ダメで残念だ。山荘新館1号の中、3号右上が今夜の寛ぐ場所だ。今思うと場所の番号がややこしいと思うがメモにそうなっているのでそのまま記載する。
 山荘宿泊代(3食付) 1,440円。

 後編へ続く。

«真夏の真昼山に登りました(H23.8.9)

フォト

あきた柳田農園のあきたこまち

がんこおやじの写真たち

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