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2011年3月 2日 (水)

昔の農作業と暮らし  1

僕が小学校の頃の我が家の農作業と暮らしぶり等、いつかはお伝えしたいと思っておりました。又、我が家の歴史のページとしても今回思いきって記憶を辿り綴ってみました。
長い文章なのでこれからシリーズで載せていきたいと思っております。
下手な文章と挿絵でございますが、お読みいただければ幸いです。

1s  2s

稲刈り用の手刈鎌、刃渡り15cmの小さなギザギザのついた鎌で、サックサックと刈取り、その刈り跡に3m以上ある直径10cm程の木柱を3m毎に穴を掘り頑丈に埋め立てて横に長木を3段から4段の間隔を保った30cmから40cmの連なりの架(はさ)に生乾燥した稲束立(そくだて)を左右に根本を外にして丁度鳥が羽を広げたように2段重ねに背負って、架の側に下ろし、架なりに並べておきます。束立が架の近くの場合は棒2本を並べた上に束立を何段にも積んで、前後2人で架の側に揃えておいて遠くになると背負って運びました。
 背負って運ぶ時、羽を広げた束立を母は膝まずいて容易に立ち上がれず僕が荷縄の端を引っ張って手伝ったり後ろから押し上げて楽に立ち上がれるように手伝っていました。
 農繁期、特に晴天の日は、学校が終わると早く家に帰るようにしていました。架に掛けた稲は12日~15日位の天日で乾燥させ、それを天気のよい日に稲しまいと言って架の下に筵(むしろ)を敷いて架から下ろし、持ち運びに丁度良い大きさにして背負って家に運んでいました。
 僕の家は茅葺(かやぶき)家でしたので、土間の一角に大体5m4方藁を敷き詰めた稲積場があり、乾燥した稲を積んでおきました。父が積みながら母が下から一束ずつ届けて高くなるにつれ投げ上げて僕は母に近くにある稲束を手渡していました。稲しまい、この日は先生に早引きを届け出て大急ぎで家に帰ったものです。
 稲刈りをし、架掛けをして家に運ぶ、この順繰りの作業を秋の短い日和に僕の家は小さな農家でしたけれど父母は暗くなっても働いていました。
 秋も少し深まった頃、雨が続き農作業の出来ない合間に母とはよくキノコ狩りに行きました。多く採った時はずぶ濡れでも2人で大喜びしたこともあります。

      秋うらら    架(はさ)に登って  叱られて

                           武男

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