昔の冬生活(2021.02.16)
昨年の暮れから今年2月に入っても雪天気は止まず、ここ数年にない豪雪地帯になってしまいました。そのため、除雪、特に屋根の雪下ろしにまつわる痛ましい事故もテレビ、新聞等で知る度に除雪、雪下ろしに明け暮れる雪との戦いに私らも命がけの心境になってきました。毎日のように役所のパトロールに雪下ろしの際の注意を呼び掛けられながらの除雪作業、絶対に事故を起こさないように心に誓ってそれなりの装備をして私は夫婦は慌てることなく作業をしています。
私が小学5~6年の頃、今から半世紀以上前のお話で恐縮ですが、その頃、子供心にも雪は毎年多かったような気がします。私たちが学校に通う道路は馬橇幅より広い2.5m位で大曲、角館間の基幹道路でした。荷物は生活用品、酒、しょうゆ等と思いますが、朝馬を先頭に何台もの馬橇が連なって角館方面に行ったのが目に残っています。私たちの親も生活用品の買い入れ等、この雪道を歩いていたのです。当時はひっきりなしに通行者が多かったように思います。私の所から大曲町まで45分から1時間ぐらいですが、中には箱橇を押している人もいました。その頃は旧正月でしたので、辺りは全くの雪世界です。暮れの大掃除から餅つき、玄関には父が手作りのしめ縄を飾り、父母私達4人の子供が揃っての大晦日、父は酒が好きだったので多く飲んだと思います。お年玉もその時もらっていたのを思い出します。私の家は茅葺き屋根の曲がり屋で雪下ろしには父は何日もかかって雪と戦っていました。屋根からの雪が玄関に積み重なりそれの除雪にも難儀したと思います。
いよいよ積雪もおさまった3月の初め、堅雪になった頃、囲炉裏のたき木を前年に切り倒して山に積んでいたのを、橇を引き家まで運んでくるのです。この作業も3~4日位要したと思いますが私も手伝いに山に行ったこともあります。
その頃父が言うには、雪が多い方が良い、少なければ裾野に何か所もある沢が雪で埋まらず橇引きが出来なくなるんだ、と夕食時私たちに話していたのも思い出します。我が家でも馬一頭、農耕用に飼っていました。その馬の藁床を時折外に出して積み上げたもの毎年一年分を堅雪の頃、田んぼに運ぶのです。堆肥運搬です。これも橇で田んぼ一枚の真ん中に山盛りにするのです。これも4~5日要したと思いますが、この色々な作業は積雪があればこその作業です。数々の人力に頼った作業、これはその後まもなくの機械化農業まで何十年、いや何百年も続いて来たのではないでしょうか。
まだ柿が 残っているよな 冬景色
春の花 思い浮かべて 雪の原
この雨も 雪に変わって 春遠く
武男